他人の姿に自分を映す

出会った人、音楽、映画、小説、感じた事記します。

メリー・ポピンズ

先日無事に大学を卒業しました。

大学で顔見知りになった人々のほとんどが、きっともう一生会うことのない人々です。

めぐり合わせとは感慨深いものです。

それでもわたくし、今まで卒業式で涙を流したことは一度もありません。それは、卒業とは「始まり」だと感じるからです。通過地点の出口である一方、確実に新しい世界への入り口でもあります。これからの未来が良い物なのか悪い物なのかは誰にもわかりません。しかし、良い物にしようという心持は忘れずに持っていたいものです。

赤毛のアン」から言葉を借ります。 

 

「いま曲がり角に来たのよ。曲がり角を曲がったさきになにがあるかは、わからない     の。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」

 

 

では、本題に入りましょう。

出会いと別れの季節というとなぜか私は「メリー・ポピンズ」が浮かびます。

言わずと知れたディズニーのミュージカル映画です。リメイク版も今制作されているとか。

劇中歌も有名で「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」や煙突掃除は素晴らしい仕事と歌っている「チム・チム・チェリー」は誰しも聴いたことがあると思います。

メリー・ポピンズとバンクス家の人々の出会いと別れを描いた内容で、実写とアニメーションの融合や、思わず一緒に踊りたくなる歌唱シーン、また、銀行勤めの父親、女性の選挙権運動に夢中の母親、元海軍で時報の代わりに大砲をぶっ放す隣人など、社会を風刺したキャラクターも見どころです。

ですが、その中でも注目したいのは、メリー・ポピンズのポーカーフェイスぶりです。メリーはバンクス家の子供たちと会話をするとき、ほとんどが仏頂面です。どんなに子供たちが好意を見せてくれても、それにこたえる笑顔はなかなか見せません。しかし、それは決して不機嫌だとか意地悪だからではないのです。出会いがあれば別れもある。彼女は風向きが変わると雲の上に帰らなければならないのです。そのことをわかっているからこそ、子供たちのため、そして不器用な自分のために彼女は鉄の心を演じているのではないでしょうか。風に乗って帰る前のラストシーンで、相棒の傘との会話からなんとなく本当の彼女の姿が見え隠れします。

リメイク版でもポーカーフェイスのメリー・ポピンズが観れることを期待します。